5 論理的ディスコースのダイナミズム
この章には何かが書かれているのか?
エジソンは合理的近代労働組織を率いていた
その組織はプラトンのアカデメイアと性質を共有している
神秘的なものへの対立
合理的な思考をする者への開かれた制度
充実した教養
科学の言葉をつかう選ばれた人たち
プラトンのその精神は、ギリシャ・ローマ文明ひきつがれた
ギリシャ哲学の抽象的普遍性・警視規制を教育制度に取り込み
論理的・理性的な法制度としてローマ法をつくる
西欧のブルジョワジーは、プラトニズムを政治・経済で実現
その流れはヘーゲル哲学で最高潮になった
国家が理性的なときは、人間共同体と理性は対立しない
学校教育制度と官僚制度によって支えられた世界
という見方
西欧の伝統によける「よい文章」の基準
非西洋の人たちにとって、西洋化とはプラトン化を意味する
しかし、そのことは西欧の本質が「合理的・論理的」であることを意味しない
特殊な人たちによって論理的思考の使い方が工夫され、それをブルジョワジーが社会を統合する原理として用いた(前段の説明のくり返し)
「よい文章」の基準も同じ流れにある
何を書きたいのかを心に描き
それを表現する抽象的な形式を見出し
それを文章にする
そういうことが可能な文章
きちんとアウトラインがつくれる文章
最初に問題があり、それを解決するための方法を模索する
エンジニアリングの思考と類似
エンジニアリングの過程
rashita.icon過程だからプロセスなのだが、生成のプロセスとは異なるプロセスがここにある、ということ。
日本語におけるよい文章とは何か
丸谷才一→向井敏:名文とは論理的なディスコースが成立している文章
漢文の教養を持つ人たち
(おそらく)英語の文章の影響を受けた世代
ある種の工夫があり、それはエンジニアリングのようなものがあると言える
両方で共通して言えるのは、丹念に読むと、アウトラインが作れること
論理と伝達において優れているのだから当然だと著者
しかし、アウトラインを作ってもよい文章が書けるとは限らない
切れ切れの情報の集積になる可能性が高い
よい文章には、論理の流れのダイナミックスが要求される
形式論理だけを頭においては達成されない勢い(あるいは力)がある
英語の文章読本では「書き続けろ/get writing」と呼ばれる
勢いのある文章を書く秘訣は、「何か伝えたいこと」(文章における目標)があることであり、それを効率的に達成するのがよい文章とされていたわけだが、それは本当だろうか?
そもそも、心にあることをアウトライン(論理的ディスコース)にまとめて表現できるか
形式から逸脱したことはどうするのか?
明晰であることがよい文章とされたのはなぜか?
→テキストに意味を現前させる機能を要求する近代的ライティングについての再検討が必要
ヘーゲル・ニーチェ・ハイデガー
rashita.icon哲学史的な内容なので軽く
ヘーゲル:理性的に書かれた文章であれば読めばわかる
ニーチェ:解釈が意味を導入する(読むたびに指すものがかわる)
デリダ:ニーチェの見方も批判
意味作用そのものへのまなざしがない
ブリコロールとエンジニア
二つは対比されるが、エンジニアというものが定義できるから、ブリコロールということが言える。
後者に肯定的価値を置いたとしても、前者が存在しなければそういういことが言えない
rashita.iconこういう見方をするのが脱構築
デリダの抹消符号(×)
ハイデガーのような単なる否定ではなくて、意味の現前の否定
ある言葉とその意味が習慣的に結びついていることを否定するための符号
フェミニズム
デリダが脱構築を通して西洋主義を批判してきたことと、フェミニズムによる男性中心主義への批判は同型である
フェミニズムの三期
第一期
失われた女性の業績を男性社会に認めさせる
第二期
女性の立場からみた世界の成り立ちの正統性
第三期
現在の社会の構造の分析
テリー・イーグルトンはフェミニズムを批判したが、しかし今までの基準で評価される必要はなく、そうした評価の外で活動が行われ、問題が確認されていることが重要
男のディスコースがあり、それが世界を支配していて、教育制度もそのディスコースを学ぶためにある
それが「よい文章」のディスコースをも規定している
正統性を巡る問題
『アメリカン・マインドの終焉』
大学の大衆化による文明社会の崩壊
プラトンに始まる近代哲学の否定が発端だと指摘
正統性の否定
ニーチェは、政治的・道徳的な諸問題に対する真偽の区別を放棄した
rashita.iconつまり「正しい」と言えるものはないのだ、という態度
何者も「正統」ではありえない
ソクラテス→プラトン→啓蒙主義→……ニーチェが終わりをつげる
論理的なディスコースの構造に支えられてきた現前のシステムが壊れている
安易な否定は別の文化的普遍者を出すことになる
だからといってすべてが「デフォルト」の正統性のもとに置かれるというのも違う
デリダの抹消記号は、現前のシステムの働きを否定しながらも、抹消記号の下にもとの言葉が見えているように、正統とされる言葉の外観を壊していない
そのような姿勢が重要だと著者。
アウトライン的思考
自由自在に組み立て直すことができるアウトラインは、組み建て直されてもアウトライン
rashita.iconある形のアウトラインが、別の形のアウトラインになる
集合Xを集合X'に置き換える写像Y
再帰的とも言えるし、アウトラインは変化に開かれている(オープンである)とも言える
アウトラインは絶対のものではなく、変化させられるもの
そうした組み換え操作はかつては神秘的で特権を持っていたが、アウトライナー(アウトライン・プロセッサー)は、それを目に見える過程(プロセス)に置き換えた
このとき、著者はグランドビューGrandViewというアウトライン・プロセッサーを使っていたらしい 「よい文章のイデオロギー」に捕らわれることなく自由に文章の構想を展開し
ニーチェ的な意味での曖昧なカオスの(あるいは意味過剰の)世界に浸ることなく
アウトラインという形の論理的なディスコースを獲得することができている
ロゴスのイデオロギーを否定しながらも、ロゴスによるディスコースを活用するロゴスの解体作業を行っている
アウトライン・プロセッサーは論理的な文章を書くための道具ではない
論理的なディスコースを解体し、新たなディスコースを脱構築するための非常に強力な武器
論理的なディスコースのもつイデオロギー性は、そうしたディスコースの硬直性にあるのであって、自由にアウトラインを操作することによって、ギリシャ以来の論理的な仕組みを抹消記号に入れたような自由を得ることができる
論理的なディスコースへのこだだわりが「よい文章」(本文では抹消記号つき)を生む
ただし、アウトライン・プロセッサーを使っても問題は残る
議論の展開のダイナミクスをどう手に入れるか
次章へ
他の人に共有したい情報や疑問などがあれば以下に書いてくださいrashita.icon
まとめを書きましたrashita.icon
TsutomuZ.icon
以下のことは同じことであるのが面白い。
自由自在に組み立て直すことができるアウトラインは、組み建て直されてもアウトライン
アウトラインを操作しているうちに言いたいことが見つかる 言いたかったことが言える形式を工夫する
デリダの抹消記号を知らずに、アウトライナーを使うことで、それを実践していたということか。 rashita.iconすごく丁寧にまとめられていますね。すごいです。
環読プロジェクトで読んでて、読んだことをみなさんと共有したいからこそですーくまきち.icon